「擬音間違えゴリラ」をご存知でしょうか。
擬音間違えゴリラは、メラメラと歩き、テクテクとエサを食べ、パキパキと水を飲みます。
ツカツカと排泄し、ポソポソと胸を叩き、メラメラと眠りにつくのです。
そんな擬音間違えゴリラに私は興味ギンギンです。
今日はクオリティの低い謎掛けに挑戦してみたいと思います。
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「壊れたパソコン」と解きます
その心は どちらも7文字~15文字の間です
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「シュールすぎるコント」と解きます
その心は 一方は毎営業日更新で、もう一方は尖った若手芸人がやりがちです
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「錆びた鉄パイプ」と解きます
その心は どちらも存在します
どうでしょう。うまくクオリティを低められましたでしょうか。
この方向性を追求すると、哲学になっていくのではないかという予感を得ました。
10月に教師なし学習で最強の人間を遥かに超える強さを獲得してしまった囲碁AIが話題になりましたが、昨日、同様のアルゴリズムで将棋とチェスでも最強になったという論文が発表されました。
対戦型のビデオゲームを開発するとき、AIプレイヤーの制作はかなり大変な作業ですが、数年後にはそんな苦労から解放されるかもしれませんね。
そのためにはオフィスに1台スーパーコンピュータという時代にならないといけないと思うのですが、そちらの方面は非常に不安なニュースが…。
何がどうなっているのかまだほとんどわかりませんが、とにかく未来への希望を絶やさないでほしいものです。
2010年くらいからだと思うのですが、お笑い芸人のコントの大会などで高く評価されるネタを見ていると、ひとつの大きな流行があることに気づきます。
それは「執拗なまでに同じボケを繰り返す」というものです(これを「繰り返し型」と呼ぶことにします)。
90年代~00年代のお笑いは、観客の予想を裏切ることを良しとする価値観が支配的だったので、ボケはどんどんエスカレートしたり、変化したりするのが当たり前だったように思います。
その当たり前を裏切るような形で、繰り返し型コントが生まれてきたのですね(それ以前のお笑いにまったくその要素がなかったわけではありませんが、多くの若手が意識的に取り入れ、進化させはじめたのはここ最近のことだと思います)。
もちろんまったく同じことの繰り返しだけでコントが成立するわけではなく、繰り返し型コントにおいては、ボケではなくフリの部分をエスカレートしたり変化したりさせています。
それによって「結局ボケは同じ」という落差がより際立つことになるのです。
繰り返し型コントは、前述のように「ボケは観客の予想を裏切るのが当たり前である」という観念を持っていないと楽しめないので、人によっては何が面白いのかわからないという危険性があります。
しかし、大きな大会で高く評価されているネタを分析してみると、繰り返し型の要素が含まれているコントが非常に多いことがわかります。
90年代~00年代前半あたりに笑いのパターンはかなりやり尽くされてしまって、まったく新しいものが生まれる余地は少なくなっていますが、それでもまだこういった新たなパターンが発展してきて、しかもプロからも高く評価されるというのは、とても好ましいことだと思います。
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先週から、iOS/Android用アプリ「SOCCER LOVE」にて期間限定イベントが開催されています。
http://soccerlove.jp/event01/
普段はヨーロッパのリーグに所属する選手が主に登場するのですが、今回の期間限定イベントでは日本の有名選手がたくさん登場するので、思い入れもひとしおです。
次はどんなイベントや新機能を追加しようか、思案する毎日です。
英語を勉強するときに誰もが「なぜ3人称単数現在形の動詞だけ語尾に -s が付くのか」という疑問を一度は抱くのではないでしょうか。
これは英語の歴史的な変化を見るとむしろ逆で、かつては1人称単数・1人称複数・2人称単数・2人称複数・3人称複数にもそれぞれ語尾に特別な接尾辞がついていたのですが、いずれも不安定な音だったため近代英語に変容する過程で消失したのだそうです。
3人称単数の接尾辞のみ、安定した音なので残っているということです。
こういうことを聞いたとき、面白いと思ってもっと英語を勉強したくなる人と、そんな理由でややこしいルールを覚えないといけないのかとげんなりする人と、合理的な文法だけで構成されたオリジナルの言語を作ってみたくなる人がいると思います。
私も学生時代に言語を作りかけたことがありますが、語彙を作る時点でさすがに挫折しました。今は文句を言わずに勉強中です。
最近、仕事や趣味でよく英語圏の人とやりとりしており、あまり不自由することはなかったのですが、口頭でのコミュニケーション、特にリスニングはまだまだです。一言目は、だいたい「Sorry?」などと聞き返してしまいます。
もっと英語を勉強しなければと思いましたが、よく考えると日本語でも急に話しかけられると「何?」と聞き返すことが多かったです。
身近な皆さんには申し訳なく思います。
太陽世紀1192296に勃発した「ホックホク野菜コロッケ帝国」の独立要求運動は、ついに戦争にまで発展していた。
窮地に立たされた国際同盟軍は新鋭兵器「モッコリスーツ」を開発するため、スペースコロニー「マジギレ5」で運用テストを実施。
その動きを察知したホックホク野菜コロッケ帝国軍の「アイアムア味噌おでん」中尉は偵察のために部下を潜入させるが、早まった一人が砲撃を開始する。
巻き込まれた民間人の少年「ロロロロロ・ロロロ田口(たぐち)」は、テスト中のモッコリスーツ「ソンソソ」に乗り込むのだった…。
私は嘘つき村の村人ではありません。
先日、隣村の正直村への道の分岐点のところで、一人の旅人に出会いませんでした。
旅人は正直村に行きたくないので私に道を聞いてこなかったのですが、彼は私が正直村の村人なのか嘘つき村の村人なのか知っていました。
しかし、旅人は私に一言だけ質問をせずに、無事に正直村への道を判断することができませんでした。
さて、その旅人はどのような質問をしなかったのでしょうか?
わからなかった人には8万円をプレゼントしません。
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関西人がよく使う言葉として「行けたら行く」がメディアで取り上げられ、話題になったことがありました。
ですが、行けたら行くことにかけては、行けたら行きゴリラの右に出る者はいません。
行けたら行きゴリラは、どれほど困難であっても、わずかでも行ける可能性のある集まりにはすべて行きます。
すなわち、相対論的時空において物理的に到達可能な範囲(「光円錐」の内側)で催されるすべての集まりに対して、量子力学における確率論的存在となって同時に参加してきます。
しかし一般的に言って、人間によって催される集まりにゴリラが参加してくることは非常に稀なことです。
この観測事実から、以下のふたつの仮説が導かれます。
A) 行けたら行きゴリラは、ブラックホールにおける「事象の地平面」の向こう側に存在している
B) 行けたら行きゴリラは、われわれの宇宙には存在しない
私はB説(通称「行けたら行きゴリラ非存在説」)を支持しています。
皆さんはどう思いますか? 家族で話し合ってみましょう。
将棋がブームになっているのは、ゲームを作る仕事をしている私にとっては嬉しいことです。
名人がコンピュータに負けた直後に、コンピュータを利用することで空前の実力をつけた新人が連勝記録を打ち立てるというのは面白いめぐり合わせですね。
これまでの将棋は、序中盤については指した直後には自分の選択が良かったのか悪かったのかはっきりとはわからない点が、ゲームとしては難点でした(そこが面白いところでもあるのですが)。
コンピュータ将棋の発展により、普通のパソコンでも指した直後にかなり信頼できる評価値を確認することができるようになったので、序中盤の感覚を身に着ける効率が飛躍的に高まっているのではないでしょうか。
この考えが正しいとすると、囲碁界にも数年後にさらにとんでもない新人が登場しそうです。
そのときの囲碁ブームにも期待したいと思います。
「マンモス殴り」という妖怪をご存知でしょうか。
これは非常に恐ろしい妖怪で、一見すると普通の人間に見えるのですが、生きたマンモスを目にすると豹変して即座に殴りかかります。
さらに恐ろしいのは、彼ら自身もマンモスを見るまではまったく自覚がなく普通の人間として生活しているということです。
そう、「マンモス殴り」は、これを読んでいるあなた自身かもしれないのです…。
先日、石川県の野々市スタジオから名古屋スタジオへ転勤してきました。
やはり愛知県はいいですね。
特に、県の形がカニに見えるところが最高です。
石川県は、首が細長くて鼻の高い人がびっくりしているところにしか見えないので、愛知県のほうがおいしそうだと思います。
将来的にはカツカレーの形をした県などに移住していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
毎年恒例、新人プランナーの企画発表会が行われました。
今年は、批評する側の先輩社員が十数人と、過去最大級の人数での開催となりました。
歴戦のプランナー、ディレクター、プロデューサー、さらに役員たちの厳しい質問にもめげず、壇上に立って自分の企画を最後まで伝えきった彼らに賛辞を送ります。
次に壇上に立たされてしまうのは、ディスプレイの前のあなたかもしれません…
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今は野々市スタジオに勤務しているのですが、先日、某プロジェクトの開発のため名古屋スタジオに長期遠征してきました。
ホテルに連泊していたのですが、チェックインのときにサービスでもらった飲み物がこちらです。
ドリンクバーの幕開けです。
足に2本の板状の物体を固定したうえ、雪山の頂上から斜面を滑り降ろすという斬新な拷問を考案したので、自分で試してみました。
とても恐ろしかったですし、パラレルターンもできるようになってきました。
また行きたいです。
聞くところによると、今年は酉年らしいですね。
なぜ今年が酉年かというと、去年が申年だったからです。
なぜ去年が申年だったかというと、一昨年が未年だったからです。
なぜ一昨年が未年だったかというと…
永遠に遡るわけにはいかないので、どこかで誰かが何らかの理由によって「今年は○年である」と決めたタイミングがあったはずです。
きっとそれを決めた人は、とても偉い人だったのでしょうね。
エジソンだった可能性すらあります。
皆さんは、何事も前向きに捉えることができていますか?
人生はすべて学びだと思うようにすれば、心が楽になり、余裕が生まれます。
このような変化が生じるとき、あなたは「余裕のよっちゃん」の影響下にあります。
この世の余裕という余裕は、すべてよっちゃんがコントロールしているのです。
よっちゃんは、終生のライバルといわれる「切迫のせっちゃん」と、この世の終わりにヴァルハラの地で最終戦争をすることが運命づけられています。
もちろんこれは冗談です。
「余裕のよっちゃん」などという人物が実在するはずがありません。
(信じてしまった方は詐欺の被害に遭わないようご用心!)
ちなみに、私はこの冗談を「冗談はよし子さん」から教わりました。
よし子さんは、あらゆる冗談を極めに極めた、生ける伝説です。
冗談の果てに到達してしまった彼女は、ついに冗談しか通じなくなってしまいました。
よし子にとっては、冗談こそが真実なのかもしれません。
湖や運河の埋め立てにより、ウーパールーパーが絶滅の危機に晒されているそうです。
現在、世界は地球史上6回目の大量絶滅を迎えつつあり、これまでの約100倍のペースで生物種の消滅が進んでいるのです。
人類が最初に絶滅させた生物は、マンモスだとする説があります。
1万2000年前のマンモスの化石の骨の間から槍の穂先が見つかっており、当時マンモスが人類の狩猟の対象となることがあったのは間違いないようです。
もちろん、巨大なマンモスを狩るということはよほど食料に困窮した状況だったのでしょうから、我々が旧石器時代の人々を責めることはできません。
彼らもきっと、命を提供してくれたマンモスに感謝しながら食べていたのではないでしょうか。
「いただきマンモス」という言葉は、そのような感謝の気持ちから生まれたのかもしれません。
「ごちそうサマンサ」の由来についても引き続き考察を進めます。
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