最近、感情が低解像度になっている感じがします。
何かあったときに気分がじわ~っと変わるのではなく、パキッと変わる感じです。
低解像度の画像って、ブラウン管に出したりすると上手くにじんでかっこよく見えたりするんです。
にじまないとジャギジャギに見えちゃうんですけどね。
上手くにじむと、いいんですけどね。
画像の補完方法はニアレストネイバーが好きです。
いちばんちかいもの。素敵ですね。
最近、感情が低解像度になっている感じがします。
何かあったときに気分がじわ~っと変わるのではなく、パキッと変わる感じです。
低解像度の画像って、ブラウン管に出したりすると上手くにじんでかっこよく見えたりするんです。
にじまないとジャギジャギに見えちゃうんですけどね。
上手くにじむと、いいんですけどね。
画像の補完方法はニアレストネイバーが好きです。
いちばんちかいもの。素敵ですね。
シューティングゲームの文法が好きです。
文法といっても文字通りのものではなく、様式美を持ったストーリーの流れ……みたいなものを指しています。
単機で敵に切り込んでラスボスまで突っ切るのって、なんだか生命が創られる過程に似ている気がします。
ラスボスを倒して何かが、それこそ生命の誕生が起こるようなものが好きです。けど、本当に何も起こらない、誰も報われない、プレイヤーにぬかるみのようなどろどろした感情を突きつけて、咀嚼を命じるようなゲームはもっと好きです。
そういう文法のゲームが好きなのが影響したのか、シューティングゲームと同じ文法の、退廃的な雰囲気の作品を好むようになりました。
ありますよね、こんな、こんな感じの文法っていうかニュアンスっていうか。
この画像みたいな。
今年の4月に一人暮らしを始めたとき、「絶対に自炊するぞ!」と考えていました。
しかしそれから半年以上、当初の志は折れ最近はずっとコンビニでご飯を済ませています。
手軽でそれなりにおいしいというのがいいですね。
コンビニ弁当を食べているときにふと「あのコンビニが潰れたら、食事はどうしよう」と思いました。
食事というものをコンビニに任せっきりにしているので、その供給源が絶たれたとしたら……
しかもよくよく考えてみると、日々の暮らしの中で「自分じゃない誰かに任せている部分」って結構多かったりするんですね。
電気・水道・ガスなどのインフラはその代表格ですし、日々使う携帯電話も事業者がいるからこそ使えるもの。
今の仕事も会社抜きでは成り立ちませんし、そもそも暮らしているところだって不動産屋さんが無ければ……
全部のことを自分でこなす原始時代のような生き方も大変そうですが、人と関わらないと生きていけない今の社会もちょっと息苦しかったりします。
感情を離散化できたらいいのにな、とよく考えます。
(離散化とは、大雑把に言うとアナログな信号をコンピュータで処理できるようにすることです)
例えば悲しいとか、辛いとかの感情をデジタルなデータで扱えるようにして、
それを誰かに送れるようにしたら……ステキですよね。
いいねボタンを押して悲しみをシェアしましょう、とか。
誰かの感情がバイナリデータとして添付された投稿がスパムとして報告されて削除される、とか。
ワンボタンで元気な感情が流れ込んでくるUSB機器が1,000円で売られる、とか。
なんか、ステキですよね。
未来感があって。
あまり関係ないのですが、最近雨に打たれることが多いんです。
雨がぽつぽつ、ドットもぽつぽつ。
部屋の中から見る雨は好きですけど、雨に打たれるのは嫌いです。
自分にとって都合のいい雨がスキってことです。